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戦争の気配が色濃くなりつつあった昭和15年
合理化、簡素化が国民生活全般に求められ、婚礼や葬儀も例外なく、あらゆるもの
に公定価格が決められようとしていた時代。
そこには、公定価格化がいち早く進んだ
結婚式に比べ、複雑なことが多く、体系づけに苦慮する葬儀関係者の姿がありました。
目指すは「葬儀の尊厳」と葬儀に携わる人々の社会的地位の向上
この時、葬儀関係者の要請を受けて立ち上がったのが神戸の若き実業家である畦平孫市氏(初代社長)でした。
彼は、『人生最後の最も大切な儀式を扱う葬儀の尊厳を高め、葬儀に携わる人々の社会的地位を高めよう』と声をかけ、当時、社会運動家であり、後に国会議員ともなる江田三郎氏(初代支配人)がそれに賛同し、さらに三石神社の神主であり、江田氏と神戸高商業の同窓でもある杉村伸氏が加わり、ここに公詢社として最初の芽が出たのでした。
出資者には、名刹の住職や芦屋市長、兵庫県議、元警察署長、弁護士なども名を連ね、『弱者の味方』を創業のモットーに、貧しい人や社会的に立場の弱い人も満足いく葬儀を執り行えるようにと、当時の葬儀相場の半分に近い額を標準価格に設定しました。
さらには、仕事のない日は清掃奉仕など、今でいうボランティアに精を出すばかりか、奉仕の精神のままに身寄りのない人やお金のない人には無料で葬儀を行うことも多かったといいます。
公詢社頌〜人君の盛徳をたたえ その成功を告げる詩
創業当時は、出勤時と退社時の1日2回、全員により礼拝堂で勤行を行い、江田氏が著
した会社の精神を示す「公詢社頌」を唱和していました。

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